このとき、肯定側をやるのか、それとも否定側なのかは
試合直前にランダムに決まります。たとえば、ジャンケンとかで。
だから、ディベートをする人は肯定・否定両方の議論を
準備して試合に臨みます。ですから、必ずしも自分の
信条に合致した立場から主張できるわけではありません。
たとえば、あなたが死刑賛成論者であっても、
ディベート中は死刑廃止を主張しなければいけないこともあります。
ディベートはあくまでもゲームですから、試合中の発言とディベーター
個人の人格は切り離されています(という了解があるのです)。
また、このように自分を棚にあげて、議論を練ることは、
複眼的に異なる立場から物事を考える良い機会になります。
ディベートを通じて、異なる立場から議論をつくり、
また批判しあう経験は、ひとりよがりの議論に陥ることなく、
知的に物事を論じるよい訓練になるのです。